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育児ノイローゼから重度鬱になり、毎日必死で過ごしています。メンヘラの母から育てられ、自身もメンヘラ母になりながら、育児をしています。鬱っぽい湿ったブログにはしたくありませんが、できるだけありのままの現状を書き留めたいち思います。

「母親」が、適応障害って言われました。

おはようございます。

 

私は重度鬱と診断される前、

初めて心療内科を訪れた際は、

 

「まだ鬱状態というわけではなく、適応障害ですね」

 

と診断されました。

 

なので、頓服で飲む軽い抗不安薬だけ処方されました。

 

しかし実際考えてみると、

「母親」に「適応障害」と言ったところで、

どうしろと?と思ったのは事実です。

 

仕事ならば、(状況や人それぞれだということは重々承知ですが)

診断書を書いてもらい、休職、という選択肢もあると思いますが、

母親業には、その選択肢はありません。

 

休職できないなら、少しでも助けを求めよう、と、私が模索した結果、

 

・実家の母に連絡する→遠方に住んでおり、足が悪いため断られる

・主人のご両親に連絡する→遠方に住んでおり、またまだ現役で働いているため無理

・一時保育を利用する→予約が瞬殺で埋まる。利用できない。

・子育てセンターに泣きながら電話する→「今だけよ辛いのは」と言われる

保健士さんに家庭訪問にきてもらう→これは心が楽にはなりましたが、根本的な解決にはならず

・仲の良いママ友は、第二子出産のため、里帰り中。

・主人は頑張ってくれてはいましたが、子育てに関しては、9割がた丸投げ。

・ファミサポ→登録場所が遠く、登録の機会を逃してしまった。

・育児相談のような会に誘われる→宗教団体のような団体だと分かり、抜ける。

・市役所に保育園の相談に行く→空きはありませんと言われる。

 

 

出せる駒は出し、

最後に残った駒は、

 

精神科病棟への入院

 

でした。その時はもう、重度鬱で、「母親の辞め方」を考えてばかりいました。

(娘に手をかけることは考えていませんでしたが、それも時間の問題だったかもしれません)

 

離婚して、もっと素敵な女性と再婚してもらおう

離婚して、義両親に引き取ってもらおう

 

そんなことばかり考えていました。

 

娘と離れることしか、考えられませんでした。

 

緊急保育で、娘が保育園に通うことができ、

なんとか入院することができました。

 

「とにかく子供と離れることが、今は一番の治療」

と言われたことを覚えています。